美女と液体人間 [変身物]
「美女と液体人間」(1958年東宝)
監督 本多猪四朗 脚本 木村武 特撮 円谷英二
出演 佐原健二 白川由美 佐藤充 平田昭彦 中丸忠雄 土屋嘉男
田島義文 夏木洋介 小沢栄太郎
◆ストーリー
雨の中、路上でギャングの一人が衣服だけを残して突然消えるという不思議な
事件が起こる。科学者(佐原健二)が核実験による放射能の影響で突然変異した
可能性を指摘するが警察は相手にしない。やがて、ギャング一味が根城にして
いるキャバレーを舞台に犠牲者が続出し、漂流船と遭遇し船内に潜んでいた
液体人間に襲われて生き残った漁船の乗組員の証言と蛙を使った実験から
恐怖の実態が明らかになる。しかも、その漂流船が東京湾近郊に流れ着き、
液体人間が東京に上陸した事が判明する。
◆解説
ゴジラや透明人間同様、核実験の放射能を浴びた影響により変異するという
お馴染みのパターンがここでも使われている。ある意味、日本人の核アレルギーを
利用したようなもので、それが物語の安易な設定と実に都合のよい展開が可能
となっているのだ。
制作年度が1958年である。ガス人間や電送人間(両作品とも1960年)の前に
作られた為か、ストーリー展開も構成も、安直で物足りなさが残る作品である。
液体人間というアイデアは面白かっただけに残念だ。
監督・脚本とも「ガス人間第一号」と同じコンビなのに、この落差の大きさは、
2年間の間の映像表現方法の成熟度が経験値の成果なのだろうか。
人間が放射能の影響で液体人間の怪物になってしまったのだから、本来は悲劇の
はずだが、そんな事は微塵も感じさせずに恐怖の存在として扱われてしまうのだ。
また、同化されて液状化した人たちの意識はどうなってしまったのか気になるのは
自分だけだろうか。
高級キャバレーのはずが、「白川由美」以外のダンサーやコンパニオンの女性は、
スタイルは悪いし、顔も美人とは程遠く、その上、オバサンのような髪型と雰囲気で
、白川由美の美しさとスタイルの良さに上品な振る舞いが極端に突出しているのは
笑える。これまた凄いキャスティングだと思う。だから題名が「液体人間」ではなくて
「美女と液体人間」なのか。
「トランク一杯の五千円札」とか「三面鏡やテレビが贅沢品」という言葉に時代背景
が表れている。この当時は、まだ一万円札は発行されていないし、テレビは一般庶民
の家庭には普及していなかったのが判る。
この作品は1970年代に「池袋文芸座地下」で観たのだが、この台詞の時には、
客席から「エッ」という驚きの声に続き笑いが起きたのを今でも覚えている。
評価 55点
監督 本多猪四朗 脚本 木村武 特撮 円谷英二
出演 佐原健二 白川由美 佐藤充 平田昭彦 中丸忠雄 土屋嘉男
田島義文 夏木洋介 小沢栄太郎
◆ストーリー
雨の中、路上でギャングの一人が衣服だけを残して突然消えるという不思議な
事件が起こる。科学者(佐原健二)が核実験による放射能の影響で突然変異した
可能性を指摘するが警察は相手にしない。やがて、ギャング一味が根城にして
いるキャバレーを舞台に犠牲者が続出し、漂流船と遭遇し船内に潜んでいた
液体人間に襲われて生き残った漁船の乗組員の証言と蛙を使った実験から
恐怖の実態が明らかになる。しかも、その漂流船が東京湾近郊に流れ着き、
液体人間が東京に上陸した事が判明する。
◆解説
ゴジラや透明人間同様、核実験の放射能を浴びた影響により変異するという
お馴染みのパターンがここでも使われている。ある意味、日本人の核アレルギーを
利用したようなもので、それが物語の安易な設定と実に都合のよい展開が可能
となっているのだ。
制作年度が1958年である。ガス人間や電送人間(両作品とも1960年)の前に
作られた為か、ストーリー展開も構成も、安直で物足りなさが残る作品である。
液体人間というアイデアは面白かっただけに残念だ。
監督・脚本とも「ガス人間第一号」と同じコンビなのに、この落差の大きさは、
2年間の間の映像表現方法の成熟度が経験値の成果なのだろうか。
人間が放射能の影響で液体人間の怪物になってしまったのだから、本来は悲劇の
はずだが、そんな事は微塵も感じさせずに恐怖の存在として扱われてしまうのだ。
また、同化されて液状化した人たちの意識はどうなってしまったのか気になるのは
自分だけだろうか。
高級キャバレーのはずが、「白川由美」以外のダンサーやコンパニオンの女性は、
スタイルは悪いし、顔も美人とは程遠く、その上、オバサンのような髪型と雰囲気で
、白川由美の美しさとスタイルの良さに上品な振る舞いが極端に突出しているのは
笑える。これまた凄いキャスティングだと思う。だから題名が「液体人間」ではなくて
「美女と液体人間」なのか。
「トランク一杯の五千円札」とか「三面鏡やテレビが贅沢品」という言葉に時代背景
が表れている。この当時は、まだ一万円札は発行されていないし、テレビは一般庶民
の家庭には普及していなかったのが判る。
この作品は1970年代に「池袋文芸座地下」で観たのだが、この台詞の時には、
客席から「エッ」という驚きの声に続き笑いが起きたのを今でも覚えている。
評価 55点
2009-12-23 21:11
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