エコエコアザラク TV版 第26話 「聖戦」 ANRI Ⅲ [エコエコアザラク]

第26話「聖戦」ANRI Ⅲ

監督 舞原賢三   脚本 林荘太郎  「原案・脚本・監修」 梶研吾

出演  佐伯日菜子   川井博之  野本実穂乃 秋本翼・
  東静子  加藤茂雄  今村理恵

◆・ストーリー

 リョウ(川井博之)は、アンリ(今村理恵)の姿とファンデモニアムのビジョンをミサに
伝えて「お前ならなれる。この世にとって最後の希望に」と言い残して息絶えてしまう。
洗脳された村人達が、逆十字の紋章の御札を村中に張り付ける中、ミサは単身ファンデモニアム
に乗り込んだが、そこで観たのは身体を乗っ取られてしまい、車イスに乗り、身体を包帯で
グルグル巻きにされた変わり果てた姿のアンリだった。
 強力な悪魔に対しては浄化魔術も通用せず、ミサは絶対絶命に追い込まれてしまい、
頼みの綱は両親からプレゼントされた「エルビスの書」によってしか、妹のアンリを悪魔の拘束
から解放する為の方法は無かった。

◆・レビュー

 アンリを解放する為の唯一の手段は肉親である妹を自分の手にかける事だった。
両親から渡された「エルビスの書」は、絶望感で打ちひしがれたミサの涙によって
封印が解かれる。最終回では、アンリと両親とミサの家族の繋がりと、アンリとミサの
姉妹、また両親との深い愛情が一つに集約する。それがミサの涙となり、アンリの解放
という結果に結び付く。
 アンリを刺殺する事で、悪魔から肉体を助ける事は出来なかったが精神は助ける事が
出来たと解釈したい。だが肉体から精神を解放してもアンリはこの世には存在しないのだ。
 ミサの心の中には妹を解放し悪魔を退散させた勝利の歓喜や事件解決の達成感は
存在しない。深い悲しみと虚しさと絶望だけが残る。それは観る者にも同様の感情を伝心
させるものである。なぜなら悪魔は消滅したのではなくて一端、退散したにすぎないのだ。

 望んでいないにも関わらず妹を殺しても、全てが解決したわけではなく、洗脳されてしまった
村人たちからは歓喜も祝福も無く「悪魔呼ばわり」されてしまう。アンリの返り血を浴び、
剣を持ちファンデモニアムから出てくるミサの表情と眼つきから何を感じるだろうか。
明らかに茫然自失状態で言葉では説明出来ない程の悲しみと苦しさを感じる。
心を占めているのは孤立感と受け入れがたいまでの過酷な現実と人生への絶望感か。
もし夢ならば二度と見たくない悪夢であろう。
 
 いつも強くて冷静で落ち着き払った態度と考察で、世間の動きや人間の心の中を見透かして
いたかのようなミサだったが、ここでは、耐えがたい悲しみに打ちひしがれた一人の少女に
なっている。「魔女から少女に戻ったかのようでもある」その様子を演じる佐伯日菜子の演技は
秀逸である。

 これから、ミサには決して逃げる事の出来ない絶望的で過酷な未来が待っている。
悪魔の伝道師のシスター達は「お前は、天から降りた1本の触手を切ったに過ぎない。
人間の憎悪がある限り神は再び来る。神が活動する時の為にお前の身体が必要だ」と
言い残して去っていく。そう「器を差し出す」運命なのだ。
 それは少女には耐え切れない程の重いプレッシャーのはずだが、それが魔女として生まれた
宿命なのだろうか。将来、再び悪魔が降臨するまでの間の期間を楽しく悔いなく生きる事だけを
祈るしかない。ミサは何のために、だれの為に闘ってきたのか。虚しさだけが残る。
両親は元に戻らず、妹はこの世を去り、そして自分が望まない運命が待っている。

 エコエコアザラク、この物語はハッピーエンドでは終わらない。
観た者の脳裏に、やり切れなさと、悲しみと虚しさを残し暗い雰囲気のままで終了する。
「エコエコアザラク」は、劇場版よりもテレビ版の方が、はるかに強いインパクトを与えてくれる。
やはり漫画により近い内容と雰囲気を実写する事を心がけたのが大きいのと、黒井ミサ役に
佐伯日菜子を起用した点に尽きる。このテレビドラマは、佐伯日菜子の代表作になるだろうし、
黒井ミサと言えば、佐伯日菜子が代名詞となるであろう。

 24~26の「ANRI」で、これで1本の映画が作れるのではないか。
この3話は監督が舞原賢三・脚本が林荘太郎・原案&脚本&監修が梶研吾のトリオで
構成されており、ホラー作品として秀逸な出来である。テレビドラマの中の1エピソードに
しておくのは実にもったいない。

★・点数100点
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