華氏451 [未来社会]

★・「華氏451」 (1966年 アメリカ)

監督 フランソワ・トリュフォー 脚本 フランソワ・トリュフォー ジャン・ルイ・リシャール 
原作 レイ・ブラッドベリ

出演 オスカー・ウェルナー ジュリー・クリスティー(2役) シリル・キューザック
   アントン・ディフェリング アレックス・スコット

◆・ストーリー

 全てが徹底的に管理され書物を読むことが禁止された未来社会。
捜索と焼却を任務とする消防士のモンターグ(オスカーウェルナー)は、いつも通勤で
同じモノレールに乗り合わせる見習い教師のクラリス(ジュリー・クリスティー)と知り合う。
誘惑に逆らえず、押収した本を密かに自宅に隠し持ち、深夜に読書していた所を妻リンダ
(クリスティー2役)に見つかってしまい密告されてしまう。自宅の捜査に自らも入るが、
覚悟を決めたモンターグは、隊長を焼き殺し逃亡する。
無事逃げ延びたモンターグは、ブックマンと呼ばれる人々の住む場所に辿りつく。

◆・レビュー

 華氏451とは、紙が燃え上がる温度の数字で、近未来社会を時代設定としている。
レイ・ブラッドベリ原作のSF小説である。作品の中で取り上げているテーマを理解する上で、
適切な題名だ。例えば「ファイアーマン」とか「本が消えた社会」といった作品名でも良かった
かもしれないが、「華氏451」の方が記憶に残りやすい。

 近代の歴史の中でも、独裁者や全体主義国家では、支配する側にとって都合の悪い書物は
発売禁止、伏字、そして焚書とされた歴史がある。大量の本が焼かれて処分されたのだ。
しかしこの未来社会では、さらに厳しい対処が待っている。書物自体が処分の対象とされて、
所持していた者には過酷な運命が待っている。「良い本」「悪い本」ではなくて、書物それ自体が
悪であり社会の敵とされているのだ。

 この社会の支配者、支配階級は姿を現さない。実際に規律を作り人間をコントロールしている
のは超エリートなのかコンピューターなのか、それとも人工知能なのかは判らない。
個人の行動も健康も精神も全て管理&監視されている。大衆は自分で考えたり判断する能力が
著しく低下しており、このような社会では、自己主張や個性や存在感や、人間らしく生きるには、
どうあるべきか等といったものは必要とされない。
 当局に都合が良い方向に考えて行動する人間だけが好ましい存在「良き市民」なのだ。
ここで描かれている社会は、支配階級によって徹底して管理された行き着く先の姿である。

 ここまで書物を読む事が禁じられているならば、おそらく文盲率が高いどころか、文字を読んで
理解できる人が圧倒的に少ないはずで、卓抜した推理力・想像力・超人的な記憶力の持ち主の
人達が重宝されて、社会全体が従順に従う多数のバカや、ロボットのような人間が大半を占めて
構成された社会である。まさに生きているというよりも、飼育されてるようなものだ。
あの恐ろしく退屈でつまらない視聴者参加のテレビ番組など、その典型といえよう。

この作品で語られている印象的な言葉が2つある。

「書物は人を惑わせ、反社会的にする」

 そう、書物に接して引き込まれる事で、自分の意思で考えて判断する能力が養われるし、
作品によっては強い 影響力を与える物がある。読んだ人間は、社会や周囲の出来事や
他人を観察して分析し、その結果、過去を検証し、現在に疑問を持ち、未来に不安と希望を
抱くようになる。そして社会が自分や人間にとり有益ではないと判断したら改革をしようと試みる
行動に出て、周囲の人間にも影響を与えるようになるだろう。
 だから、この言葉は、ここで取り上げられている、書物が禁じられた社会に限らず、
全ての国や社会を支配する為政者にとって真実の言葉かもしれない。

「本の背後には人間が居る」

 IT化によって、活字離れ、読書離れが進行する現代の新聞社や出版社の人間が聞いたら
喜んで「座右の銘」にでもしそうな言葉ではないだろうか。

 この作品を観て、もし自分が「ブックマン」になるとしたら、どんな本を選ぼうかと考えて
みるのも良いかもしれない。

★・点数 70点


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